ロボットの倒しかた

 
こんにちは、Gifted南風盛です。
 
 
いやー、オリンピックが終わってしまいましたね!
一瞬オリンピックロスになりましたが、
やはり仕事があり、ロスにはさせてくれませんね。笑
 
 
さて、ギフテッドが行っている人材教育という観点からすると、
 
・シンクロのメダル奪還を実現した井村雅代コーチ
 
・柔道で全階級メダル獲得を実現した井上康生監督
 
が気になります。
 
メディアの記事などを見ていると、ざっくり
 
前者は、
一日12時間以上の練習、アップの泳ぎで規定タイムから遅れた人間が
いたら、達するまで一人で何回でも泳ぎ直し。笑
 
などのスパルタ練習がクローズアップされています。
 
後者は、
他格闘技の研究に始まる科学的なアプローチと、
コメントからにじみ出る愛情と暖かさ
 
など、ロジカルな面とエモーショナルな面の融合、といった点がクローズアップされています。
 
ちなみに、その対比か、ロンドン五輪時の柔道の篠原監督は、
 
「精神論だけの無能な監督」
と言われる始末。ひどい叩きようですね。笑
 
 
でもでも、
井村雅代コーチだって、結果がでていなければ、
 
「時代遅れのスパルタ指導法」
 
と書かれていたでしょうし、井上康生監督も、
 
「近すぎた選手との距離」
 
などという見出しで書かれていたかもしれません。
 
結果がでたらから良いものの、勝負は時の運です。
全て結果論にしては、見えるものも見えなくなってしまうなあと思うのです。
 
 
・「超高負荷」がいけないのか、「パワハラ」がいけないのか
 
・「精神論」がダメなのか、「言語化苦手」がダメなのか
 
・「絆」と「仲良し・慣れ合い」のボーダー、ってなに?
 
全てのごちゃごちゃを、MECEな状態にしないと、PDCAを回すこともできません。
日本にとって今、本当に必要なものまで一緒に捨ててしまうことになってしまうと思います。
 
 
例えば、
 
共和or独裁、性善or性悪、ナショナリズムとコスモポリタニズム。
 
そりゃもちろん、
 
僕はやっぱり独裁は嫌いだな
人を信じてる。僕は性善説の方が好きだな
 
と言う方がモテますし、笑
 
「精神論」と比較したって、「科学化」の方が耳触り良く、反対されるリスクは最小、そして、売る側はパッケージしやすい。
 
「科学化」を唱えるに決まってるんです。
 
でも、歴史の歩みは、どちらも間違いでなく必要であったことを証明しています。(たぶんこれからも)
 
 
だから、僕達にできることは、そういったバイアスをしっかり計算にいれつつ、
「時代に合ったアウフヘーベン(賢い着地)を導く」
ことなのかなと思います。
 
 
 
さて、前置きが長くなりました。笑
 
ビジネスの現場でも、必要なものの定義に迫られていると思います。
 
今日は、なぜ僕が「WHY-HOW-WHAT」にこだわるのか?について書きたいと思います。
 
組織マネジメントを例にとってみましょう。
 
現在出回っている、マネジメントやリーダーメソッドなどは、雑に一言で言ってしまうと、
 
【ゆとりの特性をうまく掴み、やらす】
 
といったものが主流です。
 
 
例えば現場のMTGでは、
上司【〇〇くんワークしていないね。どういう指示してるの】
 
中間【◯◯と伝えてあります。】
 
上司【それじゃ動かないよ。【XXX】まで細分化して落とし込まないと。】
 
中間【はい、すみません・・・】
 
というような絵ですね。
 
確かにそれが一番早いです。
 
 
①手はU度
 
②握る位置は下からVセンチ
 
③つま先の向きはW度
 
④腰の回転はX度
 
⑤バットの角度はY度
 
⑥0コンマZ秒でバットを振りぬけ!
 
これがいわゆる【WHAT】です。間違いではありません。
 
問題はこの【WHAT】が「誰の、なんの為にあるのか?」
ということです。
 
 
現在のマネジメント・リーダー論に多い特徴として、
 
「主語がマネージャー」であるということがあげられると思います。当たり前かもしれませんが。
 
もちろん各個のモチベーション把握・管理など、くすぐりはするけれども、
ロボットのように、行動を単純化・細分化させ、やらす。
「交換可能な組織を作る」。
 
 
もちろん、このようにマネジメントするのは、間違いではありません。
今のところ。
 
しかし、「ロボットのように」では敵わない、本物のロボットの足音が聞こえてくる時代となりました。
 
そしたら、ロボットならワークライフバランスなんて言わないし、
ロボットで良くないですか?と僕なら確実に思います。笑
 
 
イギリスでは産業革命の時、失業した人間が機械を壊してまわりました。
AIをどうやって壊せば良いのでしょうか。無駄な抵抗です。
その分、ゆとりは「こんな私に誰がした」と教育者を恨むかもしれません。
 
 
もちろんこの「上手くやらす」、マネージャーとしての当事者意識の現れでしょうから
、これはこれで賞賛すべきものかと思います。
 
しかし、「プレーヤー=部下に対する当事者意識」と、
なにより、「日本人としての当事者意識」とは繋がらないような気がします。
 
日本の将来にとっては対症療法に過ぎないものになるかもしれない、ということです。
 
 
では、試しにマネジメントの主語は常に「プレーヤー=部下」にしてみたらどうでしょう。
それであるならば、この「WHAT」は常に、
 
×「劣化したロボットに仕立てるもの」
 
◯「WHYを学び一人一人がAIの時代にサバイバルできる柔軟性・応用力をつけるためのもの」
 
と導くことができます。
まるでWHATの解釈が違ってきますよね。
 
 
それができれば、マネージャーも、
プレーヤーへの当事者意識→マネージャーの当事者意識→会社への当事者意識→日本への当事者意識
このWHY-HOW-WHATが少しずつつながっていくと思いますし、
 
プレーヤーも、この具体と抽象の行き来を自分で行うことによる負荷によって、普遍的な筋力がつくかと思います。
 
 
 
余談ですが、ギフテッドの仕事で、僕が何より一番気をつけている点は、
 
担当者さまの足しになる→営業部or人事部さまの足しになる→クライアント企業さまの足しになる→日本経済の足しになる
 
ここでも、全てのWHY-HOW-WHATが繋がったor繋がる状態で納品をするように全力で立ちまわるということです。
 
しばしば「人事部」がクライアントになり、「人事部」が「営業部」に納品して終了、という悲しい構図が見られます。
 
人生は短いため、時間の無駄にならぬよう、ここだけは避けるように全力を尽くしています。(まだ未熟ゆえ、避けられないこともあるのですが・・)
 
 
 
当事者意識というのはどこまでも広げることが可能ですから、
 
自分の会社は増収増益→でも日本落ちてるじゃん、で大いに自分を疑って凹みたい。
日本頑張ってるじゃん→でも世界不安定じゃん、で、やっぱり凹みたい。
 
「出世」という言葉は世に出ると書きますが、僕はこれは、当事者意識が世に飛び出す
 
ことなんじゃないかなと思います。
出世というのは、精神の中で行われるものなのでは、と。
 
 
そんなことから、僕はギフテッドの教育においても、「WHY-HOW-WHAT」がロジカルに繋がることを大切にしています。
 
いやあ、すっかり面倒な話になってしまいましたね。申し訳ありません。笑
 
 
そういえば、井村雅代コーチ・井上康生監督も、指導にあたっての主語はきっと本当の意味で「選手」であったんじゃないかなあと思います。
 
 
「本当の意味で主語を変える」ための、強い一人一人、そして組織を作るための「WHY」の学習。
 
 
そのお手伝いをして回るのがギフテッドの仕事かなと考えています。